ふりがな

その学校の初級のオリジナル教材では、ほとんどすべての漢字にかながふられていた。校長の指示で私はそのふりがなを修正液で消した。
白い液体が漢字にかからないように、ふりがなだけを塗りつぶしていく。当時はまだ今のようなリボンタイプのものは珍しく、液体タイプのものが主流だった。このタイプのものは、液体の成分を均等に保つため、使用前によく振って攪拌する必要があって、それは振るとカタカタと音がした。白いキャップをはずして青いプラスティックのボディの中央辺りをぎゅっと押すと、白い液体がニュッと顔を出す。ちっちゃいビーズぐらいの大きさがちょうどいい。抽出口を標的の始点にあわせ、そっと離す。半球状に盛り上がった液体をつつくとぱちんと はじけてはじめの文字が消えた。これを文字の進む方向へのばしていく。子供が水たまりを長靴で広げる要領だ。ビーズが小さいと、こすりつけるようにしても、文字が透けて見えてしまう。量が多すぎれば乾くのに時間がかかるし、もったいない。できあがりも白いかさぶたみたいになるので嫌だった。私は作業中一度で適量を出すことに集中した。液体を押し出す力は液体の残量によって調節しなくてはならない。作業が進むにつれて指先には力が入り、修正液をかきまぜるカタカタという音も徐々に高くなっていく。これ、中に何が入ってるんだろう。使い切ったら、カッターで切って中見てみようといつも思うんだけど忘れちゃうんだよな。見開きの2頁分を終える度に、ふうふうと吹いて乾かし、斜めに光を反射させて確かめては、次のページへと進んだ。

「緊張感持たせないと覚えないから」。
学院長は早口でそう言うと背中を向けた。あとでわかったことだが、学院長をはじめ、この学校の先輩の先生方の作る教材の多くには、かなが振られていなかった。ふりがなに頼っちゃうからだだそうだ。

「緊張感を持たせる」と言うが、要は恥をかかせるということだろう。漢字文化圏内の学習者の場合、漢字の知識は地域や個人による差が大きい。漢字の知識を問われるということは、日本語以前の教養を問われることになる。たかが語学教師にそんなもの問う資格はない。上級のクラスで漢字の質問受けてあわあわしてる私なんかはなおさらだ。

以前勤めていた学校で校内の全教員を対象に漢字テストが行われたことがある。入社試験で問われるような一般教養レベルの漢字の読み書きが出題された。結果は、業界内の人なら想像がつくんじゃないか。心配しなきゃならないのは教える側の漢字力だろう。漢字が「書け」なくても日本語は話せる。

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語彙レベルでは完全に漢字文化圏にありながら韓国はハングル表記を貫いている。韓国に住む、中華系の人々や日本人は漢字由来の単語をみつけると、その上にひょいひょいと漢字を記していく。ハングル一文字と漢字一文字とは完全に対応するのでこの作業は、けっこうキモチいい。このハングルの上の小さな漢字を「振り真名」という

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