屋塔房

ソウルへ来てはじめは勤め先の寮に住んだ。
寮を出てはじめて自分で借りたのは、屋上に建てられた部屋だった。屋上に建てられた住宅のことを、韓国では屋塔(オクタプ)とか屋塔房(オクタプバン)という。

その建物は小高い丘のてっぺんにあった。階段で五階建ての住宅の屋上へあがると遠くに漢江が見える。
家賃収入目当てに家主が屋上に急拵えした、その部屋は物置にしか見えなかった。屋上にちょこんとマッチ箱をのせたような佇まい、家賃は月二十万ウォン(二万円程度)ととても安い。
屋上にはキムチや味噌のかめが並び、唐辛子とエゴマの葉の菜園があった。
夏は暑く冬は寒いと韓国人におどされたが、僕はここに住むことにした。このころのソウルの夏は涼しかったので、暑さはそう苦にならなかった。
毎晩、部屋にもどると屋上の屋根のへりに腰かけて、漢江を見ながらビールを飲んだ。

一年後の契約更新のときだった。大家が家賃を四十万ウォンにするというので、引越すことにした。僕がよそへ越すと言うと、大家は慌てて値上げを取り消したが、僕は引っ越すのをやめなかった。
このころにはマンションが次々と建って、屋上から漢江は見えなくなっていた。

引越したのは目と鼻の先の、丘のふもとの下宿で、月四十万ウォンの広い部屋だった。その日僕は朝から何度も丘をのぼりおりして、ひとりですべての荷物を運んだ。

物がなくなってがらんとした部屋に、キャスターつきの椅子がひとつ最後に残った。椅子を外に出した僕は丘のてっぺんから坂の下を見下ろした。それから背もたれにつかまり椅子にまたがると、丘のてっぺんからふもとまでの坂道を、いきおいをつけて一気に滑りおりた。
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