「やりもらい」と「あげもらい」

注目

日本語教師には絵をかく人とかかない人がいて、僕は昔はかく人だったのだけれど、10年前くらいからまったく かかなくなった。

この絵ははいわゆる「やりもらい」と言われる受給表現をあつかうときに描いた絵です。

外国人学習者にとって「あげる」と「もらう」はそうむずかしくないのだけれど、「してあげる」と「してもらう」となると、そういう表現のない母語を持つ学習者にはなかなかピンと来なかったりもする。

「やる」と「あげる」については、「犬にえさをあげる」が許容できるかという議論があったことを(日本語教員でなくても)知るかたも少なくないと思うが、「やる」をつかう機会が年々減るのにともなって、「やりもらい」ではなくて、「あげもらい」という先生が増えた。

敬語由来の「あげ(る)」を避けて、中立的な「やり」で「やりもらい」と呼んだのは日本語教員諸先輩がたの立派な見識だったと思うのだが、残念ながらいまでは「あげもらい」のほうが主流になってしまった。

(乱暴に聞こえる)「やり」より「あげ」のほうが上品だとか非アカデミックな恥ずかしい発想だし、「やり」より「あげ」のほうが学習者にもわかりやすいなんて言う人は、教員間で共有する用語と、教室で教えるときに用いる語との区別もついていないと自分で認めているようなものだ。

なにより僕の場合は「あげもらい」と聞くたびに「もらいゲロ」を連想してしまい、「あげもらい」と呼ぶ気にはどうしてもなれないでいる。