「形容詞+です」のはじまり

 名詞や形容動詞(な形容詞)は、「だ」とか「です」がないと、文が安定しない。
 「これは本。」という文はあるけれども、この文は、「だ」とか「である」とか「です」を省略している、不完全な文だ。はたして「これは本…」なのか、それとも「本…」じゃないのか、言い切っていないから文が安定しない(この不安定さを利用して文にリズムをつけたのが「体言止め」という技法だ。日本語の文末は「です」や「ます」がつづいてしまうと、単調で、固くなりがちだが、「体言止め」を文に混ぜると簡単に変化がつき、軽みも出る。その手軽さと軽妙なリズムが好まれてか、広告の惹句などの実用的な文章や日記・メモなど物事を端的に記録するのに用いられる)

 ところが、形容詞(い形容詞)の場合は、そういうのは要らない。

 これはおいしい。

 この文はこれで完全に成立している。「おいしい(い形容詞)」は、単独で述語としての働きを十分に果たす。「だ」や「です」の果たす言い切りの機能は「おいしい」の中に既に含まれていて、「です」とか「だ・である」などの力を借りる必要はない。(このことは日本語の形容詞が感情表現であることとかかわっている。感情の発露であれば口に発せられたその瞬間に成立しているのは当然であり自然のことだ)

 「おいしいです(形容詞+です)」が使われだしてから、もうずいぶんたつので、違和感がないという人も多い。それじゃあ、その人に「おいしいだ」は? とたずねると、皆それは変だという。
 そんなかたにはぜひ「おいしいだ」と何度かつぶやいてから、「おいしいだ、おいしいです。おいしいだ、おいしいです」と並べて言ってみてほしい。その「変さ」に気づけるのではないだろうか。
 それでもダメな人には、じゃあ「たべる・です」は? とたずねてみるのだが、そうすると誰も皆「変に決まってるじゃないか」と言って笑う。そのくせ「たべない・です」は変じゃないというのだ。
 「おいしいです」は、「おいしいだ」や「たべるです」と同じくらい変な言いかたである…、言いかたであった。

 これはおいしい-です
 これはおいしい-
 これはおいしい-である

 このように形容詞につける「です」(「おいしいです」の「です」)は、構文上、最低限文を成立させる要素としては必要なく、まったく余計なものです。
 はじめて「おいしいです」が使われだしたころは、かなりの違和感を感じたことででしょう。そんな日本語はなかったのだから。
 それはきっといま我々が「おいしいだ」や「たべるです」に感じる違和感にほぼ等しかったはずです。
 しかしこの「変な日本語」は定着してしまった。

 さて、「形容詞+です」は、どのようにして現在の地位を得たのか……。

* * *

 当時 皆が感じていた、どうも形容詞の使い勝手が悪いと。

 公けの場での発言や目上の人とのやりとりでは、形容詞の言い切りはぞんざいで使えない。かといってちょっとしたやりとりに、「おいしゅうございます」では、おおげさなんだよな、と感じてる人がけっこういた。
 自分の、感覚とか感情を乗せるにはすごいチカラを発揮する、日本語の形容詞だが、ものごとを客観的に叙述・形容したいときには、「あついぞ」とか「あついよ」、「外はあついからな」なんてちょっとした工夫が必要になる
 で、これを丁寧にやろうとすると「あつうございます」と言うしかなかった。暑いという事実を単純に情報として伝えようとすると、ちょうどいいのがなかったのだ。
 「です」はちょうどよかった
 近所の人と話すのに「あついですね」とか「あついですよ」とか言えるようになって、みんなとてもうれしかった。

 それまでの社会では、なんとかなっていたんですね。「うめえぞ」とくだけるか、「おいしゅうございます」とあらたまるかのどっちかでなんとかなったから。
 でもこのころから、この中間ていうか、もうちょっとフツーに人と話したい、そう思う人が増えていた。
 フツーっていうのは、公けの場で、かたくるしすぎず、且つ対等にということです。
 そのときの人々のキモチに、「であります」がつまってできた「です」の『軽み』がばっちりハマったんだと思う。

* * *

 はじめに誰かが言ってみた、試しに。恐る恐る。

 「ア、あつい…デ、です」

 周囲からは「おおっ」と、どよめきが起きた。皆、紅潮した顔を見合わせる。
 言った本人は、ゆっくりとあたりを見渡して、小さくうなづくと、もう一度言った。

 「あついです」

 今度ははじめより少し大きな声ではっきりと。
 周囲を取り囲む人々はうなづきあい、口々に言った。

 「あついです」、「あついです」、「あついです」。

 たしかに少し変な感じはあったけれど、そんなことどうでもいいくらい、「です」はそのときの、みんなの気持ちにぴったりだった。みんなすっかりこれが気に入っちゃって、たまにそんな日本語はちょっと変じゃないかなんて言い出す人がいても、そんなの関係ないと相手にする人はいなかった。時間がたつにつれて変な感じはどんどん薄れていったし。

 わ、なんだこれ、うんいいぞ、わははこりゃいいや。
 そうだ、僕たちははじめからこういう風に話したかったんだ。

 それはもう誰にも止められるものではなかった。
 おおげさに言えば、このとき、みんな「自由」を感じたんだとおもう。

 以来、日本語の形容詞の活用は、初級学習者にとって大きい難関のひとつとなりました。日本語敎育の業界では、これを「形容詞過去」と呼び、畏れるものです。
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