【-んです/のだ】
日本語の動詞には「見る」と「見ます」というふたつのカタチがあり、これらはそれぞれ普通体・丁寧体とよばれることが多い。この、一般に「普通体」と呼ばれる「見る」をはじめとする一連の「見る・見た・見ない・見なかった」というカタチを総称して、日本語教育では「普通形」と呼ぶ。これは「普通体」とはまったく異なる概念である。
見たり 聞いたり 言ったりして、たぶんもう おたがいにすんだこと・わかったこと・伝わったこと【成立・認知・共有】や、おきたこと・あったこと【経験】には、この「普通形」をつかう。「普通形」は「です」に直につくことができないため「の」を介してつく。
「ます」は、「行為の実行、行為の実行への決定・意思表明」という情報(モダリティ)を含有する。この情報が伝わり共有された時点で、「ます」は必要はなくなる。だからこれををはずして、余計な情報を除くのだ。「ます」がなくなると文が終わらないので、余計な情報を含有しない「です」を用いる。
「たべます」→「たべです」✕→「たべるです」✕→「たべるんです」◯という調整を経てできたのが「〜んです」です。
肯否と時間の前後だけを無機的に示したい、そのためには動詞以外の情報、「たべます」で言えば「ます」の部分がじゃまなのだ。だからこれをはずして、「食べ」、「食べ」では「です」が接続できないので、名詞につづく形「食べる」にして「食べる+のです」と、これが「食べるんです」の正体です。
例)
A:きのう映画を見ました。
(「映画を見ました」という発言により映画を見たことを知り共有された)
↓
見ました(fresh/生)>>> 見た(freeze/固)
↓
B:あ、映画、 見たんですか。(相手の発話を受けたあいづち/catch)
A:はい、 見ました(fresh)。 見たんですが、…。(self:pass and next)
B:なに、 見たんですか。(共有された事実を前提にその周辺情報へと話題を移す/catch&return)
この本にも書いてある
『「の(だ)」の機能』 野田春美 (くろしお出版 1997) 15ページから引用
1.3.「の(だ)」の本質・基本的機能に関する研究
三上章(1953a)、林大(1964)、佐治圭三(1986b)などは、ごく大まかに言えば、「の(だ)」の本質を、「の」に前接する部分をすでに成立しているものとし、それに「だ」を添えて提出することだと見ている点で共通している
以上引用
※太字・赤字・下線はこちらで施したものです
疑問詞疑問文と(新宿へ行きたい)んですが…という二つの例文について
規則であるかのように無条件に「〜んです」を使用するものとしてあげられることもあるこれらふたつの例文であるが、「〜んです」がつかわれるのには理由がある。
疑問詞疑問文の場合
「なにを」見るのか尋ねるのは「映画を見る」という事実が共有されてからのことである。既に共有(両者に認知)された映画を見るという事実を「見るんですか」とフリーズしておいて、さあそれでは「なにを(見るのか)」というそのつぎの(副次・周辺)情報をたずねる。ある事実を踏まえてそのつぎの(副次・周辺)情報をたずねるのが、疑問詞疑問文であるのだから、その前提となる事実を示すのに「〜んです」が使われるのは当たり前のことである。
(新宿へ行きたい)んですが
いや実は新宿へ行きたい。で、ついては新宿への交通はどのような手段が考えられるか教えていただきたい。新宿へ行きたいという事実を「んです」でフリーズすると「これは前提であり、その先に言いたいことがあるんですよ」というサインになる。