みんなの日本語

ひさしぶりに養成講座の恩師に会った。
養成講座を修了して二年が過ぎたころだった。修了とともに運よく日本語学校に就職が決まった私は、都内の日本語学校で専任教員として働いていた。15年ほど前のことだ。
数寄屋橋交差点、西銀座デパート、外国人が給仕するイタリアンレストランの二階窓際の席はガラス張りで、あしもとに宝くじの行列が見える。私たちはスパゲティを注文して仕事の話をした。武内先生は笑顔で聞いてくれた。教え子の成長を喜んでくれている、それがうれしくていろんな話をした。
先生の顔色が変わったのは私が教えている学校で採用されている教科書の話をはじめたときだった。

「『みんなの日本語』はよくない」 私はそう言った。この教科書じゃ話せるようにならないとも。
武内先生は左右のうでを順にテーブルにのせて少しのあいだ目を伏せた。そして顔をあげて一瞬だが私の瞳の奥を覗き込み、すぐに窓の外へ目を逸らす。階下の行列を見ているのか黙っている。テーブルについた両腕を肘掛けに移し座り直すと、煙草の箱を手にしてやっと口を開いた。先生の話を聞きながら私は自分の顔が赤くなるのがわかった。

「あのね、教科書がよくないと思ったら、私たちにできることは二つしかないの。一つは教科書がすこしでも機能するように努力すること。もう一つは教科書をかえるためになにか行動すること。どちらもしないなら、教科書を批判する資格なし。学生といっしょになって教科書の悪口を言うのは、とってもはずかしいことだし、だいたいね、ある程度の評価を受けている教科書を簡単に批判できちゃう神経ってどう思う? 何年もかけてその本を作った先生方の意図やねらいが理解できてはじめて評価できるんじゃない? 簡単に批判する人に限って、いざ教科書が変わるなんてことになると新しい本見ないうちから嫌がるから不思議よね」

自分の勤める日本語学校が採用している教科書の批判を始めた教え子を武内先生は一刀両断に切り捨てた。「簡単に批判しちゃ」った私は、「学生といっしょになって教科書の悪口言」っていた。教えはじめて二年がたち、驕ったのだ。ただの、新米の虚勢なら先生はあんなに厳しい口調でおっしゃることはなかったろう。
やくざの女房と日本語教師は出世が早いから気をつけなさい。武内先生はそう言って煙草の煙をゆっくりと吐き出すと話題を変えた。