僕がなぜLINEやメッセンジャーのようなリアルタイムなやりとりに句点「。」を使わないかというと、それが文章じゃなくて会話だからです。
LINEやメッセンジャーでのやりとりには文字が用いられます。しかしそれは会話です。文章ではない。音声で交わされる会話に符号である句読点が打てないのは当たり前のことですが、会話であっても、文字をつかうLINEでのやりとりには句読点を使うことができます。
音声での会話では、句読点のかわりに、「です/ます」や用言の終止形に終助詞、疑問詞を合わせるなどして、話しの区切りや終わりをしめします。発話の停止や抑揚(イントネーション)・強弱の変化を利用することもあるでしょう。そうやって自分の話す番を終わらせて、相手の発話を待つ。
場合によっては一方が相手の話しの終わるのを待たずに割って入ったり、話が途中で停止したのをひきとり、続きを話し始めたり、まったく主題の異なる話を始めたり、会話ではそういうことも珍しくない。
文章とはひとり語りなのでそういう現象は起きません。文字で表記された文章においては、意味を正確に伝えるためにも句読点は欠かせない。
文字で書かれていても話し言葉であることは、脳内で音声化される際の「抑揚」でもわかります。
ユキ:わたし、あしたやっぱり行くね
みか:あ、そうなの
ユキ:うん、ごめん
みか:なんで
ユキ:だって行かないって言ってたのに
みか:ユキが来たほうが私うれしいよ
その音声の抑揚(イントネーション)や強弱は、親しいあいだがらであればより正確に行われます。
LINEは手紙ではない、LINEで行われるやりとりは会話です。
LINEでのやりとりになじまない句点に対して、読点「、」は「息継ぎ」として有効です。脳内で行われる音声化の助けにもなります。はてなマークやびっくりマークも同様にイントネーションの変化をつけるのに助けになります。
以上のような理由で、僕はLINEやメッセンジャーのようなリアルタイムなやりとりに句点「。」を使わない。余計な存在と思っています。
特に”おはよう”、”こんにちは”、”こんばんは”、”ありがとう”、”よろしくお願いします”につけられる句点「。」ほど目障りなものはない。
発話の終わりがわかりにくい場合は、例外です。
「ですます」や終助詞などで、終わりのサインが出せない場合や終わるか続くかそのままではわかりにくい場合、倒置法や話す順が反対になって終わりがわかりにくい場合などがそれに当たります。
例その1ー「ですます」や終助詞など終わりのサインが出せない場合
A:いっそぜんぶ断わっちゃうとか。
A:なんて言っちゃったりして。
A:そこでしかたなく私が電話したわけ。
例その2ー 終わるか続くかわかりにくい場合=省略
A:かならず行くから。
A:もういい加減飽きちゃって。
例その3ー 倒置法や話す順が反対になった場合
A:そうは思わないけどなあ、僕は。
A:来るんじゃないの、たぶん。
いずれも句点「。」がないと不都合を生じると判断した場合には句点を使います。そしてこのときの句点「。」はほかで濫用していない分、大変に有効です。
かぎかっこ内の文末って句点つけませんよね。あれと同じことです。かぎかっこで文の切れ目ははっきりわかるから句点を打たなくてもよい。打てばくどい。LINEではふきだしがかぎかっこの役割を果たしている。そういうことです。
文章と会話のちがい
会話では…
- 推敲できない
- 速度・停止(沈黙)
- 声量・声色・声音
- 発信もと受信が双方向である。話しを遮ったり割り込んだりできる
- 話題の転換や論理のすりかえなどが意識的・無意識的に行える
印刷ビジネス情報局 手紙や挨拶状は、なぜ句読点を付けないのか