ですの時代

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■です登場
あるとき「です」がおもしろいことをはじめました。「です/でした/ではありません/ではありませんでした」の一員として堅実に仕事をこなしていた「です」は、仲間のもとを離れて、ひとりで働きはじめたのです。そんな「です」が初仕事のパートナーに選んだのが、形容詞でした。
「です」は、「ます」が苦手にしていた形容詞にするすると近づくと、いとも簡単にくっついて見せた。それも、いままでとはまったくちがったやりかたで。
肯否や時の要素をとりこんだ「でした/ではありません/ではありませんでした」。そういう昔の仲間には頼らなかった。「です」がぜんぶひとりでやった。いや「です」はなにもしなかった。肯否とか、時とか、そういうめんどくさいことはぜんぶ前にやらせたのです。
たとえば「おいしい」。
自分自身のなかに肯否や時の要素をとりこんで姿を変えるのは、「おいしい」の仕事です。
・おいしい-/おいしかった-/おいしくない-/おいしくなかった
「-です」はそのまま。自分は後ろにすわって見てるだけ。
取っ手が取り外しできるやつ、ありますよね、いろんな鍋を一つの取っ手で使い分けるの。あれみたいな感じ。カチッとつけてカチッとはずす。

「です」は「形容詞+です」でこれからの日本語の姿を皆に見せた。「形容詞+です」とは、これからの日本語はこうなるというのようなものでした。「です」が形容詞でやってみせたことを名詞や動詞でもやってやる。日本語は「です」がささえていくんだ、そういう心意気を持ってた。
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■あたらしい否定のカタチ
で、もうひとつ忘れちゃいけないのが、「ないです」の登場です。「ないです」は日本語の、あたらしい否定のカタチだった。そしてそれは「形容詞+です」というマニフェストを実現するためにはどうしても必要なアイテムだったのです。
「ないです」がなければ「形容詞+です」さえも完全に実現しなかった。たぶんいまでも「さむくありません」とか「さむくありませんです」なんて言ってたことでしょう。

形容詞+です
おいしい_____です
おいしかった___です
おいしくない___です ⇔ おいしくありません
おいしくなかった_です ⇔ おいしくありませんでした

これで形容詞だけじゃなくて名詞や動詞の否定も「ないです」で言えるようになった。
「です」の野望は一気に現実味をおびてきました。
動詞にも名詞にもつかえるあたらしい否定のカタチ「ないです」は、若者を中心に支持をひろげていきます。

名詞
ひまじゃない___です ⇔ ひまじゃありません
ひまじゃなかった_です ⇔ ひまじゃありませんでした

動詞
たべない___です ⇔ たべません
たべなかった_です ⇔ たべませんでした

「ない」は「お金がない」なんていうように、単独でも使えるけど、「おいしく+ない」とか「たべ+ない」、「ひま+じゃ+ない」なんていうつかいかたもできて、これを助動詞(!)なんて言ったりする。
「たべない」っていうのは(「たべたい」とかもそう)、これは動詞と形容詞のハーフのようなものだ。
上半身が動詞なんで動詞のような顔をして澄ましてるけど、なかみはかなり形容詞っぽい。顔は父親似なんだけど、性格はお母さんそっくりなんていう人いますよね。活用なんか完全に形容詞です。
「おいしく+ない」とか「たべ+ない」、「ひま+じゃ+ない」なんてぜんぶそうで、これは「です」にとってラッキーだった。「です」は相手が形容詞っぽいほうが仕事がしやすいんですね。
かたや動詞とはどうも相性が悪い。

■「です」の限界―動詞との相性
○…成立 ×…進行中

形容詞
○おいしい_____です
○おいしかった___です
○おいしくない___です
○おいしくなかった_です

名詞
○ひま______です
×ひまだった___です→ひまでした
○ひまじゃない__です
○ひまじゃなかったです

動詞
×たべ(る)__です→たべます
×たべた___です→たべました
○たべない__です
○たべなかったです

「たべない」は実質、形容詞なんだから、「たべないです」は「動詞+です」じゃなくて「形容詞+です」ということになります。
ここまで「順調に」と言っていいペースで計画を実行してきた「です」ですが、ここに来て苦戦を強いられている。

「ます」から「です」への転換が済んでいないものは三点。いずれも対象とするパーツは動詞です。

1)ひまでした → ひまだったです(だった=であった だから動詞)
2)たべました → たべたです
3)たべます → たべです・たべるです

1)と2)の「-だったです」・「たべたです」はいま使う人がどんどん増えていておそらく認められるでしょう。実際に流通していると言う意味では、すでにアリな日本語です。「おいしかった+です」とか「たべなかった+です」という「-た+です」がとっくにつかわれていることも根拠になる。
3)の「たべるです」もしくは「たべです」なんですけど、これは、どっちも思わず笑っちゃいますね。論理的には「たべるです」のほうはありえると思います。「たべるでしょ」なんて言いかたはできるわけだし。でも感覚的にはやっぱ笑っちゃいますね、「タラちゃんも食べるでちゅ」なんて。
「たべです」は無理だと思う。このペア(たべ&です)にはなにか大事なものが欠けている。
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■いま起きていること―「-だったです」の可能性
というわけで、日本語教師にとって、学習者の典型的な誤用としておなじみの「-だったです」・「たべたです」が今後フツーにつかわれる可能性は十分あるんじゃないかという話です。そりゃ私だって変な日本語だなと思います、語感では。でもですよ、はじめて「形容詞+です」が使われたとき。はじめて「いかなかったです」が使われたとき、そのとき皆が感じた違和感は、いま我々が「たべるです」「たべたです」「ひまだったです」に感じる違和感より小さかったのか。そうじゃないと思う。

それになによりもこれらの言いかたには、正当性(わけ)がある。
たしかに、はじめて「-だったです」とか「たべたです」なんて聞いたときは、ずいぶん変な日本語だと嗤ったこともあったけ。しかしどうやらいま日本語に起きていることはそういうことではなさそうだ。いま我々がつかっている日本語はいわゆる標準語といわれるもので、これの成立には、人為的な要素がずいぶんかかわっているはずだ。男の親はおとうさんと呼びましょうとか、そういうことを話し合って決めた。たぶん「です」とか「ます」の使い方なんかにまで口出したりすることもあった。いろいろな日本語、方言はもちろん、個人によっても異なる、そういういろんな日本語をある程度標準化するわけだからそりゃいろいろ問題も起きるだろう。完成なんかしっこない、どっかのタイミングでで、「じゃ、まあ今回はとりあえずこんなところで…」なんて言って出してきたものにちがいない。(それは正しい)いま我々がつかってる日本語は、そういう若いコトバだったのだ。コトバがきちんと成熟するには、整備というか適応というか、淘汰、進化と言ってもいいような気がするんだけど、そういうことのためのかかる時間が必要なんじゃないか。みんなが使っているうちに、新しいコトバができたり、なくなったり、それは誰かが決めるんじゃなくて自然に決まってくる。成長と言ったほうがいいか。そういう経験。日本語はまだそういう経験を十分に経ていなかった。
そういうことってコトバが若くなくたっていろんな理由で常に起きている現象なんだろうけど、日本語の場合は、そういうことが起きる余地がたくさんあった。
だから「ます」から「です」へのシフトなんて大事件がいまごろ起きている。

「ます」から「です」への大転換も終局に入り、両者はいまその落としどころをさぐっています。
「です」は大まじめに完全制覇を考えているに違いありません。本マルの「たべるです」の実現です。
「ます」にだって長年にわたって動詞をささえてきたっていうプライドがある。最後の砦となった「たべます」が奪われることはないにしても、目の前で「たべたです」とか「-だったです」なんて好き勝手やられて、いつまでも黙ってはいないのではないでしょうか。
というわけで今後も目を話せない状況がつづきます。

だいたい動詞と形容詞のコピュラが別のものじゃなきゃいけないなんていうのは、幻想でしょ、 きっと。実際韓国語なんかでは動詞も形容詞もおんなじダ。

以上のようなことを図にするとこんな感じ(↓)です。