いま、日本語に起きていること。
それは「ます」から「です」への大変換です。
もしかしたら日本語の文末はぜんぶ「です」になって「ます」はなくなっちゃうんじゃないか。
いまの「です」にはそれくらいのいきおいがある。
はじまりは新しい「です」の誕生でした。
新しい「です」というのは、活用しない「です」のことです。
「ます」は活用します。「です」も、「ます」と同じように、はじめは活用していました。
図1
それがあるときから活用しなくなった。
「あるとき」というのは、「形容詞+です」のつかわれはじめたときのことです。
(過去の記事:「形容詞+です」のはじまり)
図2
この通り、形容詞にくっついた「です」は、自分ではなんにもしない。
肯定とか否定とか、過去とか、そういうの(活用)はぜんぶ前の動詞とか形容詞とかにまかせて、自分はそこへ外からぴょこんとくっつくだけ。活用しない、新しい「です」の誕生です。新しい「です」は活用しない、スーパーコピュラとして生まれ変わったのです。
すべては「形容詞+です」が成立した瞬間からはじまりました。
以来、動詞は「ます」、形容詞は「です」という棲み分け時代が長く続きました。
そしていま新しい「です」は、動詞へと、その勢力を伸ばしつつあります。
「です」は、形容詞にくっつくのとほぼ同時に、動詞の否定である「たべない」にくっつくことに成功しました。
形容詞である「ない」をとりこんで成立している「たべない」と「たべなかった」に「です」がくっついたのは、とても自然なことです。
これまでは動詞的用法と形容詞的用法とそれぞれ使い分けられてきました。
(過去の記事:行きません対行かないです)
しかし最近では「たべません・たべませんでした」よりも「たべないです・たべなかったです」のほうが優勢になりました。
「たべないです」が「たべません」の動詞的用法も代行することもあり、「たべません」という言いかたは消滅する可能性も出てきました。
破竹のいきおいの新しい「です」ですが、依然「たべる」と「たべた」には、くっつけずにいます。
男性に「たべるっす」、「たべたっす」など一部使用されてはいますが、「たべるです」「たべたです」という言いかたには、まだまだ違和感をもつかたが多いのではないでしょうか。
この現象は名詞(な形容詞)でもおきました。
図4ーいま起きていること 名詞(な形容詞)の場合
「-だったです」という言いかたはよく耳にするようになりました。これは日本語のみだれなどではなく、あたらしい日本語のカタチです。
「たべるです・たべたです」が使われだせば、「ますの時代」から「ですの時代」への移行は、完成します。
そのとき「たべません・たべませんでした」という言いかたは残るのか、それとも完全に消滅するのか。
日本語は従来の「ます」の時代から、新しい「です」の時代へ移りつつあります。
現在、我々は言語の大きな変化の、そのまっただなかにいるのです。
「もう書けなくなったので、新しいスレッドを開いてください」です。。。
電車男(最終回)より