をとが

象は鼻を使う
象、鼻、長い。
象、鼻、使う。

こうやって助詞をはずしてみると、二つの文の外見は同じだ。
「象」と「鼻」と「長い」、「象」と「鼻」と「使う」。それぞれ三つの成分の関係もよく似ている。
ちがうのは、「長い」と「使う」。「長い」は形容詞で、「使う」は動詞だ。形容詞「長い」の対象「鼻」は「が」でマークされており、動詞「使う」の対象「鼻」は「を」でマークされる。
つまり象についてその鼻が長いとか、その鼻を使うとか言っているわけだ。「象」は、「鼻が長い」とか「鼻をつかう」とかの上位にある要素である。「は」と「を/が」の上下関係は絶対的で変わることはない。

上位

  • 「は」…象は(何の話か)

下位

  • 「が」…長いのは、鼻(形容詞)
  • 「を」…使うのは、鼻(動詞)

象 — 長い。これでは意味がわからない。「長い」のは「鼻」だ。象 — 使う。こちらもおなじ。「使う」のは「鼻」である。「長い」は形容詞、「使う」は動詞というちがいはあっても、どちらも「鼻」という成分がなければ成立しないという点で共通している。

助詞が指定する情報を内部情報(ないと意味がわからない)と周辺情報(なくても意味がわかる)とにわけると、いずれも文でも「鼻」は内部情報である。「長い」にしても「使う」にしても「鼻」がないと意味をなさない。(「何時に」「どこで」「だれと」などの周辺情報はなくても文が成立する)
形容詞の「長い」にとって「鼻」は説明(形容)の対象であり、動詞の「使う」にとっては「鼻」は行為、動作の対象、いわゆる目的語というやつだ。「が」と「を」のちがいは形容詞であるか動詞であるかだけで、そのほかにちがいはない。
をとが簡略表
「好きです」は形容詞とされるが、もともとは好くという動詞だった。形容詞と動詞のあいだには動詞のような、形容詞のような、どちらかはっきりしないものがあって、そういうのは「を」も「が」もつかうことができる。下の表にある「どちらもつかえる」欄がそれにあたる。

  • 動詞的要素「たべ」と形容詞的要素「たい」がくっついてできた「たべたい」。
  • 可能形は品詞こそ動詞であれ、できるという状態をあらわす形容詞的な語である。

用言という言葉もあるように形容詞と動詞は述部を構成する同じなかまなのだ。日本語では「パン−食べます」も「パン−おいしい」もそんなに変わらない。動詞と形容詞との変化は助詞「が」と「を」にあらわれているわけだが、どちらも「言いたいこと」とその「対象」を結びつける働きをする。その点で「を」と「が」は同じなかまなのだ。

最近では、動詞は「ます」で、形容詞は「です」なんて区別も段々とあいまいになってきている。このまま「ます」から「です」への転換がすすめば、いつか、動詞も形容詞も語尾がおなじになっちゃうなんていうこともありえない話じゃない。韓国語の形容詞と動詞の語尾がおんなじなのをはじめて知ったときはずいぶん変な言葉だなと思ったけれど、日本語もその方向へ進んでいるように見える。まあそのためには「おいしいだ」とか「するです」といった日本語が認められなきゃならないと言うと変な顔をされることが多いが、「おいしいです(形容詞+です)」だっておなじぐらい変だった。


LINK なるほどの素 日本語の「~が」が英語の目的語になる場合の考察


英語の文ではよほど省略するか会話的な文でない限り動詞が必要で、その動詞の目的語かどうかを問題にしています。
ところが、日本語は述語が動詞でなくてもよい。名詞・形容詞・形容動詞が述語になることがあるのを確認しておきましょう。


 

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