「愛」は日本語でなんですか。
つぶやくような声が、この日教室に訪れた何度目かの静寂を静かに破った。
金曜の午後の陽だまりのなか 週に一度担当する上級クラス。ケリーが日本人の男性とつきあい始めたのは、最近のことだ。ハワイ生まれの中国人、ハワイではモデルのアルバイトもしていたという美女の、恋のゆくえは、教務室でも話題になっていた。
「アイシテル…の愛」。
シアトルマリナーズのキャップを目深にかぶる彼女の表情はうかがえない。
「愛は…日本語でも愛です」。
そっけない私の回答に教室がざわつく。皆うなづきあっているのは、それぞれの母語に “「愛」があること” を確認しているのだろう。
ケリーが再び口を開いた、あごをつきだすようにくびをかしげ、肩をすくめる。
日本人は「愛してる」と言わないのか。
以前ハワイでつきあった男の子はいつもいつも何度も何度も言ってくれた。
キャップのつばの下でいつもより大きく見開かれた目はこころなし潤んでいるようにも見えた。
「爱你…。先生、アイは中国語ですよね」
「ハイ。中国語です。」
「日本語は…」
「日本語でも『愛』は「あい」です」
「そうじゃなくてオリジナルの日本語はありませんか」
この質問を受けたのは、これがはじめてではなかった。
皆の表情に不信感が浮かぶのを目の端でたしかめながら、私は業務放送のように繰り返す。
「えー、皆さん。愛は日本語でも愛です。オリジナルはありません。まもなく電車がまいりますので黄色い線の内側までお下がりください」。
そもそも日本人は恋愛感情をつたえるのにアイシテルなんて言わなかった。
それでよかった。何にも問題はなかったのだ。でもI love you の翻訳には困った。そりゃ、死んでもいい “I love you” だってあるだろう。でも、ほとんどの場合そうじゃない。
やがて “I love you” やそれに該当する各国語の「アイシテル」の翻訳に漢字、つまり中国語の「愛」を使った「愛-す/愛-する」が使われるようになり、外国映画や海外ドラマでは役者が “I love you” というたびに「アイシテル」が繰り返されることになった。
新しい表現のふわふわとした非現実的な響きが、映画やドラマ、歌なんかのフィクションの世界にぴったりだった。「詩と恋愛は時間と垂直に存在する」。その現実感のなさは、虚構の世界にいる恋人たちにちょうどよかった。ロマンチックでドラマチックな「アイシテル」は、夢見る女性たちに熱狂的にウケ入れられた。
ねえ、あいしてる?
ばか。
我喜欢你。