日本語には「さん」がある

あたし、日本語で話すと、自由になったような気がするんです―鄭 美英(ジョン=ミヨン) (韓国・女性)

■「さん」のチカラ その2
学校という職場の同僚は、たしかにみんなセンセーだ。
「さん」は、この「センセー」に似てる。
どこが似ているかというと、みんなが「センセー」なところだ。本当の先生を、先生と呼ぶときは、こっちは先生じゃない。ここの「センセー」は、お互いにそう呼び合うことが決まっているだけで、師への敬意が前提にはならない。だからこういう職場では、きのう入った新人教員も「センセー」ということになる。

「さん」が本領を発揮するのは、この「センセー」と同じように、みんなが「さん」のときだ。お互いに「さん」で呼び合うことで対等な関係を成立させる。教室に同席する、大学教授と主婦、会社経営者と大学生。いろんな立場の人間が、等しく受講生として集まる教室に、これ以上“ちょうどいい”呼び方はないだろう。
博士じゃない、先生じゃない、社長じゃない、年上じゃない。「生まれたところや皮膚や目の色でいったいこの僕のなにが…」的なところが「さん」のすごいところだ。「さん」は、高校の制服のように気高く、旅館の浴衣のように自由だ。

日本語には「さん」がある、呼び捨てと敬称のあいだに。

敬称より自由で気楽だから、公式な場にはなじまない。
国会で発言者を指名するのにはじめて「さんづけ」をしたのは、土井たか子だった。議場に響く声は、ホテルの浴衣のように恥ずかしかった。
野党党首の谷垣総裁は菅首相を総理じゃなくて「さん」づけで呼び続ける。
学生運動の闘士に壇上で「三島さん」とぞんざいに呼びかけられた三島由紀夫は、当然のように「キミ」で返した。

呼び捨てよりはよそよそしいので、親しくなるにはじゃまだ。
「さん」ではじまった関係も親しさを増せば、「さん」はやめて、「ちゃん」や「くん」、アッキーやらたかぽんなんていうニックネームへと移行する。大人になってからの関係ではほとんどの場合、ここで止まる。呼び捨てまで辿り着くことは稀だろう。

お互いの関係性にいま上下はいらないけど、呼び捨てするほどの仲じゃない。「です」とか「ます」を使って、フツーに丁寧に話しましょう、対等な関係を作ろうという提案。特定の敬称を避けて「さん」と呼びかけるのは、そういうことだ。「さん」のある日本語に「です/ます」という話し方があったのは偶然じゃないだろう。「さん」も「です/ます」もタメ口と敬語の中間にあるアイテムだ。冷泉彰彦先生が言いたかったのは、それと思う。(『「関係の空気」「場の空気」』 冷泉彰彦)

「さん」も年齢の上下を しめすことがあって、そのときはこっちが「さん」で呼んでも、相手は「くん」とか「ちゃん」、あるいは呼び捨てで返してくるから対等の関係にならない。韓国では年上の知人を、お兄ちゃんとかお姉ちゃんなんて呼ぶんだけど、それは韓国語には「さん」がないからかもしれない。


運転手さん、そのバスに 僕も乗っけてくれないか

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