部屋のドアをあけると、居間は人でごったがえしていた。
日曜日。朝から居間が騒がしく、目が覚めた。起き出してドアをそっと開けて居間を覗く。居間にはまっさらのユニフォームの男性が何人もいて、がやがやと朝食をとっていた。非日常的な光景という認識はなかったと思う。居間はただまぶしかった。無表情に薄目をしばたたかせた私は、あけるときと同じ速さでドアを閉めて思い出した。
「こんどね、うちの親戚で野球チームを作ったの」。
前日の夜、下宿のおばさんが言った。それはこのうちのお父さん(つまりおばさんのだんなさん)がなくなったことがきっかけだった。
「お父さんがなくなっても家族の絆をまもりたい」と一族は野球団を結成したのだ。
このころ私は「下宿」に住んでいた。ソウルには今でも下宿というものが存在している。食事等の面倒がいらないため、地方出身の大学生や単身の勤め人などが多く利用しているのは、かつての日本の下宿と変わらない。私が住んでいたのもそんな下宿のひとつだった。下宿では自分に与えられた個室以外はすべて公共のスペースである。さらに、主人であるおばさんと同じ階に住んでいた私の部屋に鍵はなく、その暮らしぶりはホームステイのそれに近かった。
もう一度ドアを開ける。今度はさっきよりゆっくりとそっと。
四人座れば満席の食卓を、ユニフォーム姿の大勢の男性が取り囲む。食事を済ませた人が立ち上がると、背後に立っていた人と入れ替わる。立ち上がった人は出て行くわけじゃなくて、その場で腕組みをして立ち話をはじめる。だから混雑は変わらない。居間がごったがえすこともあるのだ。
胸に大きく縫いとられたのはチーム名だろう。英語の筆記体で赤く“Brothers”とある。
全員の食事が済むと「兄弟たち」はいっせいに外へ出て行った。
たったいまの光景が嘘のように静かになった居間でおばさんが手際よく食卓をととのえている。
居候の私はおずおずと居間に出ていつものようにひとり食卓につく。同時に背後のドアが音を立て乱暴に開いた。ミンジョンだ。ミンジョンは家主であるおばさんの姪で、私の隣の部屋に住んでいる。はじめて会ったときは、その外見から近所の女子大学にでも通っているのかなと思ったが、会社勤めも二年目とのことだった。
居間の 三方の壁にそれぞれ ミンジョンとおばさんと居候の私の 部屋のドアが居間を囲むようにむきあうつくりの、古い家。
居間に登場したミンジョンは真っ白なユニフォームに身をつつんでいた。後ろ手に扉をしめると花道を歩くように颯爽と居間を抜け、玄関を前に立ち止まり、こちらへくるりと向き直ってポーズをとった。斜(はす)にかぶった野球帽、つばのところでVサインを真横に作る。ホットパンツから伸びる白い脚はコンパスのようにまっすぐだ。彼女が腰に手をあてるとカシャっ、カシャっとシャッター音が聞こえたような気がした。
「おばちゃん行ってくるね」。
通りへと飛び出した背番号1が帽子をおさえてよろける。そとは思ったより風がつよい。