自転車

ソウルは坂道が多くて、移動に自転車を使う人はほとんどない。
自転車はスポーツとして扱われていて、漢江や郊外のサイクリングロードまで車に積んで乗りに行く。
女性には一度も乗ったことがないという人もめずらしくない。
日本では、自転車は生活に密着した乗り物であり、乗れない人は少ない。子供二人を前後に乗せたお母さんの三人乗りも日本人には見慣れた光景だ。子供たちも小学校にあがるころには、男女を問わず乗りこなす。自転車にネクタイ姿で出勤するお父さんや制服で自転車にまたがる女子高生を見ても振り返る人はいない。
はじめはおもしろがって見ていた外国人もやがて自転車に乗るようになる。自転車があると便利なのは外国人にとっても同じだ。当時私は都内の日本語学校に勤めていた。バス代さえ節約したい日本語学校の学生にとっては自転車に乗れるかどうかは死活問題ですらある。

午前の授業が終わった昼下がり。学校の近くに広い公園があった。
まなじりを決して自転車にまたがる女子学生の荷台を男子学生がささえる。周囲には同時に入国したクラスメートが集まった。国籍はまちまちだ。
ペダルを漕ぎだすと自転車はゆっくりと動き出した。男子学生がそっと押し出すように手を放す。女子学生の、ハンドルをにぎった肘はぷるぷるとふるえ、ぎこちない。腕に力が入りすぎて肩と肘の関節がロックされてしまっているのだろう。ぐりっ、ぐりっと小刻みにハンドルを切ってなんとかバランスをとっている。自転車が傾くたびに小さな悲鳴が上がった。それでも自転車は前進した。少しずつ少しずつ 港を離れる船のように。
自転車は徐々に加速すると、その態勢をもちなおした。右へ右へと、緩やかな弧を描きながら思いのほか距離をのばしていく。ベンチに腰掛けてそれを見ていた私たちは顔を見合わせうなづきあい、立ち上がった。歓声と拍手がわきおこる。荷台をささえていた男子学生はなにごとか叫びながら、自転車を追って駆け出した。おたがいにまだ言葉の通じない私たち。いろんな国の言葉でかけ声がとぶ。男子学生が自転車に追いついた。ジャンプするように横走りしながら、両手を大きくひろげて自転車を煽いでいる。自転車はまだ止まらない。
ひときわ大きな声が響いた。誰かが女子学生の名を呼んだのだ 教室でそうするように。
すると、それまでばらばらだった声援がひとつになった。皆いっせいに彼女の名を呼びはじめたのだ。

みんなが 彼女の名を呼んだのは、それがいまのところ彼女に届く ただひとつの言葉だから。みんなに通じる「言葉」だからだ。

はじまりの季節。みんなの夢を乗せた自転車が走り出す。自転車をおいかけて公園にちらばった仲間たち。私はひとりひとりの名を順番にゆっくりと呼んでみた。