子供のころ団地に住んでいた。
その団地には、日曜の午後になると、あてどなく歩いている少年が何人もいた。
彼らは皆グローブをしていて、一人ひとつずつボールを持っていた。壁ぶつけにいい壁をさがしているのだ。
僕もその一人だった。
壁ぶつけのできるところは、駐車場や焼却炉の塀とか限られたところで、そこが 誰かにとられていれば、ほかを さがすことになる。団地の壁にぶつけることは、固く禁じられていた。
壁をさがして歩いていると、同じようにグローブをして歩いている仲間とよくすれちがった。
でも僕らがキャッチボールをはじめることはなかった。皆、ピッチャーをやりたかったから。
壁にあぶれた僕らは路上に集まると、黙って団地の壁を見上げた。
団地の壁は野球少年の前にひどく蠱惑的にそり立っている。
僕は皆から離れ、壁に背と踵をぴったりとつけて立つ。
ホームベースからピッチャープレートまで14メートル。
壁から一歩一歩ゆっくりと歩数を数え、くるりと振り返った。
僕が大きく振りかぶるのと、皆が逃げ出すのはいつも同時だった。
そういうルールはなかったが、僕はいつも全力で投げた。勝負は1球だ。
ストライク。球が壁に当たって跳ね返ると、思ったより大きい音が響いた。
すぐに怒鳴り声がきこえて 団地一階の住人が飛び出して来る。
低いバウンドで足もとに返ってきた球を、掬いあげると、僕も皆のほうへとかけ出す。
飛び出して来た住人がなにか怒鳴っているが、いつも何を言っているか わからない。
小学校五年に上がり、僕らは少年野球のチームに入団した。
公園に立派な、壁ぶつけ用の壁ができたのは、その年だった。
でも僕らがその壁で壁ぶつけをすることはなかった。
野球というスポーツをはじめた僕らはキャッチボールが大好きになっていたし、
やがてひとりひとり監督から守備位置を言い渡され シートノックがはじまると、皆がピッチャーになれるわけではないこともわかった。
だから僕らは公園の、その壁で壁ぶつけをしたことはない。